
自分が生まれて二度目に暮らしたのは、
板橋区桜川のアパートだったのですが、
最近何故かその当時の事を、断片的に思い出す事が多く、
今日はそれが、この家が寒すぎる故に起きたようですが、
皆様こんにちわ。
この木造の家を建てた当時は、まだ灯油が今より半額位安くて、
殆どの暖房を石油ファンヒーターに頼っていたんだけど、
その後のアホみたいな値上げっぷりと、週にポリタンク何本分も、
買い求めなきゃならない面倒くささに、次第に嫌気が差し、
知り合いのママに「今は電気も変わらないよ」と言われたのを機に、
暖房だけはオール電化にしてしまったのですが、
自分がメインでいる一階の北側の部屋のエアコンを、
富士通から日立のものに変えた途端、
風音だけは凄まじくうるさいのに、部屋は全く暖まらないと言うポンコツっぷりで、
一年目はそれで我慢したものの、昨年から、
「ホットカーペット」+「電気ストーブ」の組み合わせにしたんですが、
寒い日は本当に寒いし、何せ部屋全体を暖めるのは不可能で、
必然的に自分が厚着するしかない。
ヒートテック二枚重ね+貼るカイロ、靴下二枚重ね、
レッグ&ネックウォーマー、そして今日、
首と言う首を暖める為にリストウォーマーならぬ、
レッグウォーマを手首に装着すると言う暴挙(?)に出たら、
これがあったかい事この上無い感じに。
で、冒頭の上板橋のばあさんの話に戻るんですが、
当時10才だった私は、今と変わらず寒がりで、
白金カイロのような、ベンジンを注入して使うカイロ(多分ナショナル製)を、
冬の間愛用していたのですが、ある日燦然と現れた、
ロッテの「ホカロン」のテレビCMを見て、一気に魅力に取りつかれ、
その非常に便利そうなツールを探しに、自宅から、
上板橋商店街までの道をキョロキョロ見回しながら歩き、
そしてある日、よくあるガラスのはめ込まれた木戸に貼ってあった、
「ホカロンあります」の文字を目にした時には、
思わず「おおおっ」と、躊躇する事無くガラガラと木戸を開け、
其処にいた「ばあさんの典型のようなばあさん」に,
「ホカロン下さい」と言うと「一個百円ね」と、
それは大事そうに店の奥から持って来たホカロンを手渡され、
そのまま店を出て、おそるおそる袋を破って揉みこむ事数分。
(当時のはまだ燃焼率が悪かったので、揉んだり振ったりして使った)
ほんのり暖まって来たホカロンに思わずにんまりした私でしたが、
当時の一つ百円と言う価格は、小学生の私にはかなりの高負担で、
それからも商店街に用事がある度に「ホカロン一つ下さい」と、
時には公園友だち数人で、遊びに行く前にわざわざ買いに行ったものでしたが、
今日リストウォーマー(レッグのだけど<笑)をはめて、
思い出したのがホカロンを差し出したばあさんの手で、
その手には、指先が無いボロボロの軍手がはめられていて、
長い事一体化しているような、それはかなり煤けており、
今だったら大クレームが来るぐらいの汚れっぷりだったと思うんですが、
勿論当時の私がそんな事を思う事は無く、
ただ何故いつも汚れて、穴の開いた軍手をしているのか非常に不思議だった。
今考えてみれば、それはよくいるばあさんの標準服だったと言うか、
ニット帽或いはスカーフっぽいもののほっかむり&何かの生地の襟巻、
ボロ軍手or毛玉の付きまくった手袋+洗い過ぎて縮んだ布マスク等、
足元はあまり見ていなかったけど、
ずた袋を提げて歩いているばあさんなど、そこかしこで見かけていたんだけど、
今日やっと気づいたのは、よろずやのばあさんは、
ホカロンを売っていたのにも関わらず、非常に寒かったんだなと、
それはそれは高価な、使い捨ての商売道具などの贅沢品は、
決して自分で使う事は出来ず、だとしても、
小さな灯油ストーブだけでは、隙間風だらけの、
古い作りの商店の店番をするには、
しわがれた手が悴んでしまって、それでつい防寒のための軍手をと、
兎に角昔の年寄りは、地味で目立たたなくて、
多少の都会だった板橋区でも、
見るからに「おばあさん」と言う風体のばあさんはいっぱいいたし、
そこまででは無くても、私の祖母もやっぱり、
おばあさん色の服を何枚も何枚も、
重ね着していたように思い出す訳で。
てか、今だって当時の「ひたすらばあさんぽいばあさん」には、
会おうと思えば会えるのでしょうけれど、
これまた量産型じいさんが出稼ぎで売りに来る、
リヤカーの「焼き芋屋」にはとんと出会えなくなったし、
何せ安くて美味しい焼き芋が、スーパーの入り口で安価に買える時代。
豊かさと同時に、ものを大事にする気持ちを、
私たちは失ってしまったのかもと、
燃料だけは大事に使おうと思っている自分は、
次は目出し帽に挑戦しようと思っているのでした。ちゃんちゃん。